
しょうもねぇ日記投稿し始めたな、誰が読むんだおい



(うるせえタヌキだな…)
後で自分で見返した時「あぁ、あの時はそんな事を考えていたんだな」と懐かしむ事ができれば、笑い話にできれば良いなと思ったので備忘録として書き始めただけだよ
今日は1週間ぶりにPCに触れた。
朝の始まりは嫌な夢からだった。
自分がエンジニアになったのは30代からなので遅いスタートだった。
そのためいつも負い目があった。今もある。
自分は何故こんなにもできないのだろうか。
いつも周りと比較してばかり。自分軸で生きていない、他人の目を気にしてばかり。そんな自分が本当に嫌い。
本来比較すべきは過去の自分であって、他人ではないのにね。
というか他人と比較なんかできないよね、年齢、環境、性格、進んできた道も全て違うのに比較なんてできるわけがない。
頭では分かっていてもいざ自分視点で考えるとどうにも割り切る事ができずに悩みつづける。生きづらい性格してるなと言われる。自分でもそう思う。
今日はまだ最強寒波が居座り続けているため、ジムにも行けない。下手に車を出すと高確率でスタックしてしまう。
そのため週明けまで不要不急の外出自粛中(ジムに行かなくて良い大義名分の部分もあるので少しありがたい)
休職直後は今後考えている働き方のために調べものや土台準備など進めていた、その後4日間は何も考えずゲーム(良い年をした奴が何をやっているんだろうとも思ったが、大人にこそ現実逃避が必要なのでゲームはバカにできない)
そして昨日からは読書の気分が止まらない。
今は主にアドラー心理学、適応障害関連の書籍を読み漁っている。
先ほど読み終わったのは嫌われる勇気。アドラー関連本で初めて読み切った本になる。
- 目的論
- すべての悩みは「対人関係の悩み」である
- 劣等感は主観的な思い込み
- 自己受容
- 他者信頼
- 他者貢献
- 共同体感覚
フロイトの原因論とアドラーの目的論の違いはざっくりと
- 原因論:過去の原因があるから「過去に⚪︎⚪︎⚪︎な事があった、だからどうせ今度も⚪︎⚪︎⚪︎になるんだ」
- 目的論:過去のトラウマは関係なく「⚪︎⚪︎⚪︎したくないがために、自分の中で理由を作って自分で決めている」
こんな内容だったと思う。
アドラー心理学は別名勇気の心理学とも呼ばれているみたい。書籍の中には勇気というキーワードが散りばめられてあったな確かに。
原因論、目的論なんて考える事もなかったが、こう言われてみると確かに原因論は思考ががんじがらめになって身動き取れなさそうだ、アドラーの考え方の方が好み。
心理学は自分の気持ちを確認、これからやっていきたい事を再確認したい意味で読んでいる。
数日おきにやりたい事がころころ変わるので少し戸惑うが今はまだ自分のやりたい事だけやろうと思う。
アドラー心理学を職場に取り入れてみた アドラー心理学を実践で学ぶには
アドラー心理学はあくまで手法なので心身に危険を感じたらすぐに逃げてくださいとあった。
やっぱり許容以上の負荷がかかる場合は自分で自分を守らないとだめだね。納得。
コメント